足利義詮
足利义诠1330年7月4日-1367年12月28日,是室町幕府的第2代将军。足利尊氏的第三子、长男。母亲为北条久时的女儿北条登子、镰仓幕府最後 执権赤桥守时的妹妹。正室为澁川义季的女儿澁川幸子。幼名千寿王。其子为足利義滿、足利満诠。
生涯[编辑]
早年生活[编辑]
就任將軍後[编辑]
居所的名稱[编辑]
人物[编辑]
- 法名:寶篋院瑞山道權
- 墓所:京都府京都市北区の萬年山等持院。また、京都府京都市右京区の善入山宝筐院。また、静岡県三島市川原ケ谷の地福山宝鏡院。
- 木像:等持院所蔵。
- 江戸時代末期に尊皇攘夷派により尊氏、義満の木像と合わせて三条河原に梟首される事件が起こる(足利三代木像梟首事件)。